株式会社くら寿司の創業者で、代表取締役社長の田中邦彦(くら寿司)の活躍が注目されていますね(*^^*)
年収はいくらなのかや、学歴(出身高校・大学)情報などを知りたい人は多いでしょう。
くら寿司と言えば、回転寿司チェーン店の中でも上位に位置する人気店ですよね^^
回転寿司業界の中でも、新しい取り組みをたくさん取り入れています。
お寿司のお皿を回収して自動で枚数を数えるシステムや、お皿に識別コードをつけて鮮度管理をするシステムなどです。
お寿司にも『1皿100円』や『無添加』や『天然魚』や『寿司飯』など、多くのことにこだわりを持っています。
今回は、田中邦彦(くら寿司)の年収いくらなのかや、学歴(出身高校・大学)情報と若い頃の生い立ちなどについて見ていきましょう。
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目次
田中邦彦(くら寿司)の年収いくら?
趣味は「回転寿司巡り」というメイプル超合金の #安藤なつ さんが、大手回転寿司チェーン『くら寿司』の社長・田中邦彦さんを直接取材!
5月28日(日)夜7時58分放送!#人生で大事なことは #所ジョージ #林修 pic.twitter.com/hOhsd1iedf
— 【公式】人生で大事なことは○○から学んだ (@marumaru_asahi) May 26, 2017
田中邦彦(くら寿司)の年収は、いくらなのか調査しました。
一般従業員は、給料(基本給)、時間外手当、深夜勤務手当、休日出勤手当、住宅手当、賞与などがあります。
また、取締役や監査役などの役員には、基本給ではなく役員報酬が支払われ、それが年収となります。
株を所有している人は、株式配当も年収に含まれます。
くら寿司の2021年の役員報酬額は総額1億3000万円で、役員は13名なのだとか。
単純に考えれば、1人当たりの役員報酬は1000万円になりますよね。
田中邦彦(くら寿司)は、社長ですから職場の人達よりも多い収入になるのは間違いないでしょう。
役員報酬も当然貰いますが、それ以外にも複数の収入源があるので年収は1500万円~2000万円位は当然でしょうね。
その、複数の収入源1つが、株式配当です^^
2021年の自社の持ち株は、64万株とのことです。
1株当たりの配当は20円でしたので、全部で1280万円になりますね。
他にも株を所有しているようなら、その配当もプラスされます。
ですので、役員報酬と株式配当の合計金額が、田中さんの年収ということになります。
平凡な一般人の私には、それがどれほどのものか想像もできませんが凄すぎますよね。
田中邦彦(くら寿司)の月収いくら?
田中邦彦(くら寿司)の月収は、いくらなのか調査しました。
月収は、年収を12か月で割ったものです。
田中邦彦(くら寿司)は、年収が役員報酬と株式配当の合計金額となるので、それを12で割った金額が月収です。
計算しやすいように仮に役員報酬が1996万円、所有する株が自社のもののみとして考えてみましょう(*^^*)
役員報酬が1996万円と株式配当が1280万円、合計は3276万円となりますね。
それを12で割ると、273万円です。
なので、田中邦彦(くら寿司)は少なくとも月収は273万円は貰っている計算になります。
支払われている役員報酬がわからないので、実際のところはわかりませんがこの金額前後位でしょう。
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田中邦彦(くら寿司)の学歴(出身高校)を調査!
田中邦彦(くら寿司)の学歴で、出身高校を紹介します。
若い頃から、とても頭が良かったと言われています。
将来のことを考えて、高校は地元で一番有名な進学校である岡山県立総社高等学校を卒業していました。
田中邦彦(くら寿司)は、高校生の時すでに「生きることは何か?」ということや家庭の経済格差などについて考えていたのだとか。
お父様の厳しい教育によって、人が気づかないことに気づくことを身につけられていました。
このような思考が、リーズナブルな100円お寿司や、様々なアイデアを生んだのでしょうね^^
私の高校時代は、バカみたいなことをやってはワイワイ騒いで楽しむことで精いっぱいでした><
明日はどうやってお友達を笑わせようかとか、「お友達がどんなふうに楽しませてくれるだろう?」って、そんなことしか考えていませんでした。
将来、自分はいくらくらいお金を稼げるのだろうとか、高学歴を目指そうとか全くビジネスのことは頭にありませんでした><
高校・大学時代の卒業アルバムの顔画像(写真)を見返してみたら、私も笑顔でしたが能天気な印象です。
自分のことしか考えていなくて、田中さんの学生時代とは大違いですね(笑)
田中邦彦(くら寿司)の学歴(出身大学)を調査!
田中邦彦(くら寿司)の学歴で、出身大学を紹介します。
大阪の桃山学院大学を卒業していました。
経済学部経済学科へ在籍し、経済学の専門知識を深く学びます。
それと同時に、経済社会の問題に対して見識を持ち、実社会で問題解決するための力をつけてきました。
きっと、田中邦彦(くら寿司)は若い頃から将来独立することを考えていたのでしょう^^
桃山学院大学で奥様となる2歳年上の節子さんと出会います。
お2人は交際した後、学生結婚をしました(*^^*)
自立心の強かったお2人は、誰の力も借りずに、自分たちだけで挙式をされたのだとか。
2人だけの挙式というのは、今ではよくありますが当時では珍しかったことでしょう。
周囲の人たちが受け入れてくれるかどうか、難しいところもあったと思います。
ですが、こういった新しいことに堂々と向き合っていく精神はカッコいいですね。
このようなお気持ちが、新しいことを生みだし、それを生かす経営方針につながっているのでしょうね^^
節子さんは、現在株式会社くら寿司の取締役環境事業本部長をされています。
タイプが全く違う邦彦さんとは、若い頃は衝突することも多かったそうです。
でも、長い間夫婦で頑張ってきて、今では田中邦彦(くら寿司)を支えていくことが一番大切だと考えているとお話されていました^^
田中邦彦(くら寿司)の若い頃の顔画像(写真)
田中邦彦(くら寿司)の若い頃の顔画像(写真)を紹介します。
笑顔の姿が多いので、優しい男性という印象が強いですね(*^^*)
田中邦彦さん(くら寿司)は、顔画像(写真)からとてもにこやかで穏やかな印象を受けます^^
けれど、内面は自分に厳しく、自分の周囲の人にも厳しい人なのでしょう。
会社を立ち上げ、経営して、今では知らない人はいないほど有名で大きな会社となりました。
田中邦彦(くら寿司)は、今までにない斬新なアイデアで、新しいシステムをいくつも作り上げて、次々とヒットを飛ばして年収を右肩上がりにアップさせています。
大人だけではなく、子どもも好きなお寿司を好きなだけ食べられる安心安全な食を追求してきました。
一見、何もかもが上手くいっているように見えますが、その裏ではきっとものすごい多くの苦労や挫折もあったことでしょう。
そんな時に、ニコニコ笑って誰にでも優しくいられる人は、そんなにいないと思います。
ただ、田中邦彦(くら寿司)がそのような逆風をチャンスと捉えて楽しめる人ならば、顔画像(写真)から受ける印象は辛いときでも笑顔でいようという決意の現れかもしれませんね。
田中邦彦(くら寿司)の若い頃の生い立ち情報
田中邦彦(くら寿司)の若い頃の生い立ちを紹介します。
1951年に岡山県総社市に生まれました。
ご実家は、お父様が経営する八百屋さんです。
お野菜や果物だけではなく、他にもいろいろなものを扱っていた、いわゆる何でも屋さんだったと言われています。
田中邦彦(くら寿司)のご両親は5歳のときに離婚し、父親に引き取られました。
そして、3歳年上のお姉さんは祖父に引き取られ離れ離れとなってしまいました><
その後、お父さんは再婚し、田中邦彦社長は2人目の母親に育てられます。
若い頃の生い立ち情報で、少年時代は山や川などの自然に囲まれた環境で育ったのだとか^^
遊びまわるのが好きで、かけっこや野球を好むスポーツ少年だと言われています。
勉強の方は、高学年になっても掛け算九九が覚えられなかったそうですが、実は頭が良くて小学6年生で中学生の数学の問題を解いていたのだとか。
当時、自分は暗記するのが苦手だから、考える方法で勉強をしようと思った語られています。
出身高校は、将来を見据えて、地元で一番の有名進学校である岡山県立総社高等学校へ進み、大学は桃山学院大学の経済学部経済学科で学びました。
その後、2歳年上の節子さんと出会い、学生結婚をしています。
卒業後、お給料が良いことや、食品の流通を消費者目線で見てみたいという気持ちから、タマノイ酢株式会社に就職します。
営業職で、主に大阪のお寿司屋さんを回っていましたが、その効率の悪さに疑問を抱いたのだとか。
その疑問を寿司屋に投げかけても相手にされなかったそうです。
田中邦彦(くら寿司)は、古い体制を変えられない寿司屋業界にはビジネスチャンスがあると考えます。
そして、1977年にタマノイ酢株式会社を退社します。
その後、大阪府堺市に出前とお持ち帰り専門のお寿司屋さんを開業し、節子さんと2人でまかない大成功しました。
でも、これだけでは収益の限界を感じ、次のステップとして回転寿司に挑戦します。
現在のくら寿司のようなスタイルの回転寿司屋さんになったのは1984年でした。
田中邦彦(くら寿司)のまとめ
田中邦彦さん(くら寿司)の年収は、役員報酬と株式配当金の合計金額になります。
2021年の役員報酬は1000万円以上と考えられ、株式配当金額は1280万円(自社株)でした。
出身高校は、地元で一番の有名進学校である岡山県立総社高等学校を卒業されています。
中学生の時に、すでに将来を見据えてこの高校へ進学することを選ばれていました。
出身大学は、大阪の桃山学院大学の経済学部経済学科を卒業されています。
経済学の専門知識を身につけ、経済社会の問題点に気づき解決する力を養ってきました。
大学で知り合った節子さんと学生結婚もされていて、その後は夫婦二人三脚で頑張ってきました。
1951年に岡山県総社市で生まれ、若い頃から野山を走り回ったり野球をすることが大好きだったのだとか。
勉強は、暗記することが苦手でしたが、非常に頭が良く考える勉強は得意としていました。
大学を卒業後、タマノイ酢株式会社に就職します。
営業先の寿司店で、お寿司屋さんの問題点に気づいたことから会社を退職し、自らお寿司屋さんを始めます。
最初は、お持ち帰りと出前のみのお店でしたが、その後回転寿司店へ転向しました。
現在のくら寿司のようなスタイルになったのは、寿司店を始めて7年後のことです。
私たちが今、くら寿司を利用して安心安全でおいしいお寿司を食べられるのは、社長が寿司業界の問題点に気づいてくれたお陰とも言えますね。
田中邦彦(くら寿司)の年収いくら?学歴(出身高校・大学)を調査!若い頃の生い立ち
についてまとめてみました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
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