中江滋樹の顔画像(写真)!死因が凄い?学歴(出身高校・大学)や生い立ち情報

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中江滋樹さんが、「ザ!世界仰天ニュース」で取り上げられていましたね。

 

顔画像(写真)や死因についてと、学歴(出身高校・大学)などが知りたい人は多いでしょう。

 

日本の職業で、「相場師」という仕事があります。

投資家ですが、実は江戸時代から存在する歴史ある仕事です。

 

株式や不動産、通貨や債券、仮想通貨などを扱う人で、もともとは米相場の仲買人を指す言葉だったと言われています。

 

野村證券を創設した野村徳七や山一證券の初代社長である杉野喜精さん。

松井證券創業者の松井房吉さん、立花証券の石井久氏など今の証券会社や東証に関わる人物が相場師として活躍していました。

 

最近の相場師でいうと中江滋樹さんが有名ですね。

大金を操り有名になった後、晩年はすっかり貧乏だったようで、そのギャップが知られています。

 

2020年2月に火災により66歳で、この世を去っていますが壮絶な人生を歩まれていました。

今回は、中江滋樹さんの顔画像(写真)や死因が凄いのかと、学歴(出身高校・大学)や生い立ち情報などについて見ていきましょう。


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中江滋樹の顔画像(写真)!

中江滋樹さんの顔画像(写真)を紹介します。

 

父親が証券会社に勤めていた影響で、小学生の頃から株式投資に興味を持ちます

中学生にして株価の変動を示すチャートを作成するなど頭の中は株のことでいっぱいだったのだとか。

 

高校生の頃には授業中もこっそり株式相場を伝えるラジオを聞き、休み時間になると公衆電話から株の売買をしていたほどだと言われています。

 

中江滋樹さんの学歴は、偏差値の高い進学校にいたにもかかわらず、志望する大学には行かずに投資関係の会社に就職するなどすべては株を中心にした生活だったのですね。

 

株の売買で儲けた後は独立しており、大阪ではあたると有名な相場師になっています。

東京でも有名になり、「兜町の風雲児」としてさらに有名になった中江滋樹さん。

 

顔画像(写真)も、広く知られるようになったのだとか。

一気に有名になったことで、有頂天になった中江滋樹さんの金銭感覚は常人とはかけ離れたものでした。

 

「毎日紙袋に一千万円入れて銀座で豪遊した」、「飯代と飲み代で月2億」などのエピソードが知られています。

 

一方で目先の利益にとらわれるのではなく先のことを考えて人脈を作るなど冷静な面もあり、株の未来を読むのと同時に社会の動向や自身の行く先を考えていたことが分かりますね。

 

会社では人の心を掴むのがうまく、ワンマン社長でありながら社員には慕われていたと言われています。

 

遊び人のようで毎日豪遊していたわけではなく、酒を飲みながら世間話をするだけの日もあるなどオンオフがはっきりしていたのだとか。

 

 

中江滋樹さんは、自身を売り込む演出やイメージ戦略もうまかったそうですから、マネジメントも得意だったんですね^^

 

若い頃から、資産運用のカリスマと言われていたのも頷けます(*^^*)

しかし、証券会社のベテランからは「相場を読むのがうまいのではなく狙った株を釣り上げて相場を作っていた」ともいわれており、様々な仕掛けをしたうえで利益を得る事も上手だったのだとか。

 

 

お金持ちの人は、資産がたくさんあるときは人が寄ってくるけど、お金が無くなると人も一気にいなくなるという非常に分かりやすいパターンの経験もしたと言われています。

女優の倉田まり子さんと、親交があったのだとか。

 

 

晩年はすっかり名前も忘れられた存在でしたが、帰らぬ人になる直前まで株価の変動を記録したノートをつけていた過去があるのだとか。

 

最後まで株のことを忘れない人生だったのですね。

中江滋樹の若い頃と顔画像(写真)を比べてみた

中江滋樹さんの若い頃と、現在の顔画像(写真)を比べて見ました。

小学生の頃から高校まで、ほとんど顔の印象が変わらないですよね^^

 

出身高校・大学時代から、おとなしそうな雰囲気でいつもちょっと目を細めているようなはにかんだ表情の姿が多いです。

 

ちょっと厚めな唇が印象的で、30代の頃の中江滋樹さんは長髪に髭、三つ揃えのスーツという顔画像(写真)が残されています。

 

投資顧問会社「投資ジャーナル」を設立したころで、CMに出るなど若き相場師として有名になりだした時でした

髭が印象を変えていますが、全体的な雰囲気位は変わってないですね。

 

 

この頃、中江滋樹さんは事業がうまくいっていたからか笑顔の写真が多く、豪快な人物であることを感じさせます。

しかし、バブル崩壊とともにビジネスが空回りしだしました><

 

 

2010年頃の写真では髪が短くなったものの、丸顔で細目の顔は変わっていないなと思います。

白髪交じりの髪は年齢相応の経過を反映しており、年を経ても目の奥の光は鋭く光っていました。

 

 

貧しい暮らしをしていたようですがやつれた感じはあまりなく、晩年まで体格の良さを感じさせる姿でした。


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中江滋樹の死因が凄い?

中江滋樹氏の死因を紹介します。

2020年2月20日に、自宅アパートの火災が原因で重度の火傷を負って天国に旅立たれました><

酒と煙草に溺れた晩年だったようで、酔っぱらっては何かにしゃべっていたり怒鳴っていたのだとか。

 

 

住んでいたアパートの火災に巻き込まれたようですが、火事は中江滋樹さんの部屋がで、たばこの不始末によるものと考えられています。

ですので、死因は深酒しすぎて、そのまま目を覚ます事無く重度の火傷でした。

 

 

布団の周りは本屋ノートが山積みで、逃げるのも難しかったのでしょうね。

 

帰らぬ人になる直前は体調の悪化からおむつをするようになり、血圧も190を超えるなどガタが来ていた様子ですので、若い頃の無理がたたっていたのでしょう。

中江滋樹の学歴(出身高校)について

中江滋樹氏の学歴で、出身高校を紹介します。

 

滋賀県出身で、屈指の進学校である「滋賀県立彦根東高等学校」に通っていたと言われています。

高校自体がかなり古くからある学校で、ジャーナリストの田原総一朗さんや住友財閥の住友吉左衛門の他、大学で名誉教授を務める人物や政治家が多く卒業している学校でした

 

中江滋樹さんも成績優秀で、得意科目はもちろん数学でした。

数学は全国模試で3位になったことがあると言いますので、本当に数字に強かったのですね^^

 

高校在学中から、のちに就職する名古屋の投資関連会社「三愛経済研究所」の会員となり、投資を学んでいたのだとか。

教師からもどの株を買えばいいか、教えてほしいと言われるほどの株取引のプロだったと言われています。

 

授業中もラジオを持ち込んで株価の変動を聞いていたそうですから、持ち物検査でもされたら即アウトですね。

ラジオを聴きながら授業を受けても成績優秀だったのですから羨ましい限りです。

中江滋樹の学歴(出身大学)について

中江滋樹氏の学歴で、出身大学を紹介します。

神戸大学経済学部に進学するも、東京大学への進学を目指して中退していました。

 

本人は「高校在学中に相場で儲かり、大学進学があほらしくなって家出して名古屋の証券会社でアルバイトをしていた」と話していたのだとか

 

その後独立して「投資ジャーナル」を設立したのが中江滋樹氏が24歳の時ですから、約6年間は会社勤めをしていたのですね。

 

証券会社では、黒板に株価の推移を書いていく「黒板書き」が仕事だったと言われています。

中江滋樹の生い立ち情報

中江滋樹さんの、生い立ち情報を紹介します。

1954年に滋賀県生まれです。

 

父親が証券会社の社員だったことで小学生の頃には株を始めていたのだとか。

高校生の時には信用取引を行うまでになり、当時会員となっていた投資関連会社にそのまま就職しています

18歳ですでに投資家になっていますね(*^^*)

 

24歳で独立し「証券ジャーナル」設立します。

統計を利用した絶対に儲かる投資テクニックなどを披露したところ、好評となり有名人になっていきます。

 

証券関連雑誌の刊行や関連会社の設立などで利益を上げ、会員を集めていったのだとか。

「体を揺らせば大金が出る」、「兜町の風雲児」と言われ、マスコミ露出も増えていき顔画像(写真)も拡散されていきました。

 

バブル前の経済が好景気の頃に絶頂を迎えた中江滋樹さんですが、その存在を疎ましく思う人もいたようで大きな株取引で失敗し一気に信用を失います。

 

株取引のために集めた資金を返金しきれず、「投資ジャーナル事件」として知られています。

 

若い頃は、日本で暮らしていましたが、生い立ち情報として年配になるとヨーロッパを中心に海外にいたともいわれていますす。

 

やがて滋賀の実家に戻って来て、その後はしばらく音沙汰のない期間が続きますが、平成18年に自宅が火事になるという悲劇に見舞われたのだとか。

 

中江滋樹氏の晩年は、東京都葛飾区の安アパートに一人暮らしをしていたそうで生涯をその家で終えました。

 

 

 

中江滋樹のまとめ

中江滋樹さんの顔画像(写真)を見ると、唇が厚く昔から大人しそうな雰囲気がありますが賢そうに見えます(*^^*)

 

学歴で、出身高校は「滋賀県立彦根東高等学校」だと言われています。

大学は「神戸大学経済学部」に行っていましたが、途中で東京大学を目指すことになり中退しました。

 

人数の多い社員を管理するために「柱制度」を設け、信頼できる部下たちに人事権まですべてを任せてノルマを競わせることで会社を成り立たせるなど経営システムも構築していた中江滋樹さん。

 

ノルマを達成していれば出社せずに遊んでいてもかなわないし、目標設定を超えた分の売り上げはそのグループが好きに使えるようにしてお金を儲ける楽しさを教えたのだとか。

 

お金を稼ぐ楽しさを教えて部下を育てるなど、マネーで人を動かしていたのにすべてを失ってしまったのは残念なことです。

死因は、就寝中に自宅アパートが火災で深酒により意識が朦朧とする中で重度のヤケドを負ったことによるものです。

 

帰らぬ人になる直前まで株式市場の動きを注視していたようなので、もう一度株で人生を取り戻そうとしていたのでしょうね。

 

 

中江滋樹の顔画像(写真)!死因が凄い?学歴(出身高校・大学)や生い立ち情報

についてまとめてみました。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


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