平川唯一さんは、『カムカム英語』の英会話講師『カムカムおじさん』として有名です。
結婚した嫁(妻)や子供(娘)はいるのかや、評判などが気になる方は多いのではないでしょうか。
終戦後の1946年から1951年までの5年間、NHKラジオ講座『英語会話』の講師を務めてきました。
テーマ曲の『Come Come Everybody』は、多くの人々に愛され歌われ、講座も子供からお年寄りまで夢中でした。
平川さんの明るく穏やかな声は人々を引き付けて、日本の英語ブームの火付け役となりました。
今回は、平川唯一さんに結婚した嫁(妻)や子供(娘)はいるのかや、評判・海外の反応などについて紹介していきます。
スポンサーリンク
目次
平川唯一の結婚した嫁(妻)を紹介
朝ドラ大好きおばさんです#おかえりモネ
は明日で終話だけど#カムカムエブリバディ
は大好きな和菓子とラジオ英会話のお話
これも楽しそう替え歌まであったのですね☺️
カムカムエヴリボディ [平川唯一、坂田真理子] https://t.co/nuoxGN0BJr @YouTubeより
— ゆかぶRelifeの準備中 (@YUGAna10) October 28, 2021
平川唯一さんの、結婚した嫁(妻)を紹介します。
副牧師として勤めていたロサンゼルスのセントメリーズ・チャーチで奥さんと出会い1935年に結婚しています(*^^*)
滝田よねさんは、東京都神田で洋服屋を営む家に生まれ育った神田っ子で、進取の精神に富んでいました。
日本舞踊と清元(三味線による歌舞伎の伴奏音楽)を、たしなんでいたと言われています^^
小学校の教師だったよねさんは、学校で2人だけ選ばれてアメリカへ学校見学に行きますが、その時にUSAに魅了されます。
その後退職して、留学生として再度アメリカへ行きます。
その時に、平川唯一さんと出会いました。
旦那さんの方が一目ぼれをして結婚を申し込んだとのことです。
日本語か英語のどちらの言語でプロポーズしたのか気になりますね^^
私は、日本語しか喋れないのですが、女性の口説き文句として英語を話せたら素敵だな~っと羨ましく思っています(笑)
きっと、平川唯一さんは結婚した嫁(妻)にプロポーズの時は「アイ・ラブ・ユー」とか「Please marry me」などの言葉で愛を伝えたのではないでしょうか^^
平川唯一の結婚観について
平川唯一さんの、結婚観について紹介します。
33歳のときに結婚していますが、その当時の平均初婚年齢は27歳くらいで少し遅めでした。
恋愛や結婚よりも英語や語学の勉強を、優先的に大事にしていたのでしょうね^^
教会で滝田よねさんに出会って、はじめて結婚したいと思える位の好きな人に会ったので運命的なものだったのかもしれません。
平川唯一さんは、結婚した嫁(妻)が生んだ子供には英語名をつけていることから、英語で育てたいという意思が感じられますね。
実際に、お家ではいつも当たり前のように英語の音楽が流れていたのだとか。
きっと、アメリカの文化や伝統とその素晴らしさなどを、お子様が興味を持てる形で話して聞かせていたのでしょうね^^
英語の勉強は、今は小学校の頃から授業で取り組んでいる学校が多いですが、私は中学校から教わっていました。
ただ、日本で生きていく為に別に英語は必須でもないので、私はあまり勉強しませんでしたが^^;
中学生くらいから、英語の勉強を始めるのは遅くはないと思いますが、頭に知識を入れるのはそれなりに時間がかかるし他の教科も学ばなければいけないのでちょっと辛いですよね><
その点、平川唯一さんのように両親に英会話講師している人だと、子供の頃からちょこちょこ教えて貰いますし言葉を吸収するスピードも幼少期の方が圧倒的に早いので学校で習い始める子達よりも有利でしょう。
平川唯一の子供(娘)を紹介!
平川唯一さんの、子供(娘)を紹介します。
結婚した妻(嫁)のよねさんと4人の子供を育てています。
家族構成は、「平川唯一さん、滝田よねさん、息子2人、娘2人」です(*^^*)
↓
長男は1936年生まれの壽美雄さんで、ビクターという愛称で呼ばれています。
壽美雄さんは、ロサンゼルスで生まれますがすぐに日本に来ています。
15歳のときに渡米し、苦学してニューヨーク大学ロースクールを修了しました。
三菱銀行シアトル支店長やワシントン州日本協会会長などを務めています。
2018年の、82歳の時に天国に旅立たれています><
次男は1941年生まれの洌さんですが、愛称は不明でした。
洌さんは、東京都世田谷で生まれています。
1964年、自由学園最高学部経済学科を卒業し、同年ホリー株式会社に入社し貿易部で勤務します。
1975年には、ホリー商事株式会社を設立し、全世界を相手にビジネス取引を展開して、現在は同社の代表取締役です。
慶應義塾外国語学校で1980年から25年間英会話講師を務め、1985年には父唯一さんの後で、カムカム英語センター主宰となりました。
また、ウクレレの第一人者で、国内外で演奏活動をおこなっています。
- 1995年にインターナショナルウクレレクラブ主宰
- 1996年にNHK文化センターウクレレ講師
- 1998年にロイヤルミュージッククラブ専務理事にそれぞれ就任
平川唯一さんの長女は、1942年東京都世田谷の生まれですが名前や愛称はわかりませんでした><
母親の影響で、小学生の頃に日本舞踊を習っていましたが、小学6年生で辞めています。
兄弟たちが世界的にも有名な人たちなので、長女さんの人物像も気になりますよね。。。
次女は1945年生まれの萬里子さんで、愛称はメリーです。
娘の萬里子さんは、東京都世田谷で生まれています。
日本舞踊と清元(三味線による歌舞伎の伴奏音楽)をたしなむ母の影響で6歳から日本舞踊を習っていました。
20歳のときに名取となり、『花柳芙美龍』を頂きました。
本田技研工業外国部などで勤務しながら、23歳から長唄三味線を習い、33歳で名取となり『杵屋弥七蝶』をもらったこともあったんだとか^^
初めてアメリカを訪れたのは20歳のときで、1年間シアトル大学に通い、学校で日本舞踊を披露することもあったと言われています。
日本の文化、伝統芸能をアメリカで紹介しようと、1983年に歌舞伎アカデミーを創設しています。
弟子を取り、シアトル、タコマ地域を拠点に日本舞踊や長唄三味線の指導を行っています。
平川唯一の子供(娘)の名前が英語表記もあった!
平川唯一さん、次女の大野メリーさんのように子供(娘)の名前が英語名もありました!
唯一さんは、アメリカでスクールボーイ(書生)をしていた時に、『ただいち』という発音が難しいと言われて『ジョー』と名乗っていました。
日本に帰ってきてからも、子供にはお父さんとお母さんを『ダディー』・『ママ』と呼ばせていました。
ラジオ英語会話講座の時間だけではなく、家の中は常に英語であふれていて、子供たちはみんな英語名で呼ばれていたのだとか。
娘のメリーさんは、生まれた時からずっと『メリー』と呼ばれていたのだとか。
平川唯一さんのアメリカでの経験と日常的に、英語を話す環境から英語名で呼ぶことにしたのでしょう。
もしかしたら、将来世界で活躍できる人になってほしいとの願いが込められていたのかもしれませんね^^
平川唯一の評価について
平川唯一さんの、評価を紹介します。
敗戦後の日本で、得難い存在でした。
その英語力は、アメリカにいた期間が長かったこともあり、まともな実用英語を教えられるレベルだったと言われています。
明るく穏やかな話し方が人々の心を楽しくさせ、不安を払拭しました(*^^*)
子供たちは、証城寺の狸囃子の曲にのせて「Come Come Everybody・・・」と聞こえてくると、『これが英語なんだ』と思ったのだとか。
ラジオから平川唯一さんの声が聞こえてくると、多くの人がワクワクしていました^^
『Come ComeEverybody』を探して私も聞いてみましたが、知ってる曲に簡単な英語の歌詞ですごく親しみやすかったです。
ファンレターが50万通というすごい数だったのも納得がいきますよね(*^^*)
平川唯一さんが、カムカム英語という音楽で楽しく子供たちに教えていた姿はリアルタイムでは見たり聴いたりすることはできませんが、色々な人達から愛されていたんだろうなってことは容易に想像できますね^^
平川唯一の海外の反応情報
平川唯一さんの、海外の反応情報を紹介します。
とても勉強熱心な方だどして、外国人にも評判は良いです^^
海外の反応としては、以下のようなものがありました。
- 語彙力が高い
- 発音やアクセントが正しくキレイ
- 英語だけでなく、アメリカの伝統や文化にも興味を持ち学んでいた
- 自分だけでなく、子供にも英語を教えてアメリカで活躍してるのはすごい
なにより、平川唯一さんは英語が好きだった他に、アメリカの伝統や文化にも興味関心があったからこそ、さらに深く外国語を好きになったんじゃないでしょうか。
アメリカには、色々な州があり州ごとに英語の発音にも訛りがあります。
そういった、細かな言葉のニュアンスも平川唯一さんなら、事細かに学んでネイティブ並みに話せたのでしょうね^^
だから、アメリカの人達の多くが平川唯一さんのことを知っていて海外の反応もSNSで凄くあるのだと思います。
【平川唯一の関連記事】
平川唯一のまとめ
平川唯一さんの嫁(妻)は、留学生だった滝田よねさんです(*^^*)
副牧師をしていた教会で出会って結婚しています。
子供は2男2女の4人で、それぞれ日本名とは別に英語名がつけられていました。
平川さんの明るく穏やかな声や話し方は、敗戦後の日本に元気を運んでくれたようですね。
その英語力は、とても高いことが分かりました。
お子様の名前に、英語を使うということはかなりアメリカが好きなのでしょう。
あるいは、英語の言語自体が好きだった可能性もありますよね。
奥さんも、ネイティブレベルの英語力だったと言われているので家族の中で、日本語よりも外国語の方が話されていたのでしょう。
平川唯一に結婚した嫁(妻)や子供(娘)を紹介!結婚観・海外の反応情報
についてまとめてみました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました。
スポンサーリンク
コメントを残す