九重京子の若い頃の顔画像(写真)!結婚した夫(旦那)の渋谷天外との家族構成を紹介 

イベント情報

九重京子さんは、NHK朝ドラマ「おちょやん」で鶴亀歌劇団に入り女優として活躍する朝日奈灯子のモデルです(*^^*)

 

若い頃の顔画像(写真)や結婚した夫(旦那)の、渋谷天外(2代目)との家族構成などが気になる方は多いのではないでしょうか。

九重京子さんは、「おちょやん」で小西はるさんが演じています。

 

座長と親密な仲になっていき、主人公との関係に亀裂が入ってしまうというちょっと恨まれ役なキャラクターなのです。

 

女優として活躍していて、その美しさで男をおとしたのかそれとも他に何かあるのか、ドラマと同じように不倫関係はあったのか紐解いていきます。

 

今回は、九重京子さんの若い頃の顔画像(写真)や結婚した夫(旦那)の、渋谷天外(2代目)さんとの家族構成などについて見ていきましょう。


スポンサーリンク


九重京子の若い頃の顔画像(写真)!

九重京子さんの、若い頃の顔画像(写真)をご紹介します。

 

本名は渋谷喜久栄といい、大阪府出身です。

母親は産婆をしており、父親は不明なんだとか。

 

両親がどちらも一人っ子だったので、お互いの家が結婚を許さず、九重京子さんを産んですぐに別れたと言われています。

 

どちらの家も家を継ぐ者が欲しかった故の結婚反対なんでしょうが、なんとも悲しい理由です><

 

渋谷喜久栄は小学校卒業後に宝塚音楽歌劇学校11期生として進学します。

 

家から遠かったために1年で辞めて大阪松竹歌劇団に入り直しています。

九重京子という芸名はこの時に百人一首から考えてつけたんだとか(*^^*)

 

稽古の際に倒れた上級生に代わって若い頃の14歳で舞台デビューを果たし、男役のスターとなっていきます。

 

当初は娘役でデビューしましたが、男装がよく似合っていたことと足が長くスタイルが良かったことで男役に転向したと言われています。

 

九重京子さんの、若い頃の顔画像(写真)を見れば、化粧をすれば男っぽく印象ですから確かに宝塚歌劇団の男役もバッチリ似合いそうな雰囲気ですね(*^^*)

九重京子の若い頃の姿

 

 

デビューはたなぼたですが、そこからスターとして活躍できるだけの実力があったということなのでしょう^^

 

そして、1947年に26歳で辞めるまで大阪にある松竹歌劇団で活動しています。

引退後は歌謡ショーや巡業で生計を立てていたと言われています。

九重京子の若い頃の顔画像(写真)は可愛いと美人どっち?

九重京子さんの、若い頃の顔画像(写真)は可愛いと美人どっちなのかご紹介します。

 

大阪の松竹歌劇団の頃の姿は、写真が遠いのではっきりした顔は分かりにくいのですがキリっとした眉が特徴的です

 

彫りが深いとかそういう顔ではないですが、切れ長の目とキリっとした眉がカッコいい女性を思わせます。
天海祐希さんとタイプが一緒だと思いました(*^^*)

 

結婚した夫(旦那)の、渋谷天外(2代目)さんが浪花千栄子さんよりも魅力的だと思い惚れまくっていたのも理解できるくらい美人ですね。

 

九重京子さんの、若い頃の顔画像(写真)を見ると笑顔は柔らかくて優しいけど、目力があって声やしぐさがしっかりきちっとしていて、立ち居振る舞いがはんなりしているというよりはカッコいい感じがします。

 

今も昔も、宝塚の男役のトップスターは同じような雰囲気を持っていますね(*^^*)

 

九重京子さんは普段の写真では、女性らしい恰好をしているので美人な女性という感じです。

 

メイクと衣装でグッとかっこよさが引き立つので、男役の方が似合うと見抜いた劇団員は流石です。

 

女性は化粧と髪型でかなり雰囲気を変えられるものではありますが、九重京子さんの場合は普段もクールビューティーな感じでしょう^^


スポンサーリンク


九重京子の結婚した夫(旦那)は渋谷天外!

九重京子さんの、結婚した夫(旦那)は渋谷天外(2代目)さんです。

そもそも、なぜ浪花千栄子さんを裏切ってまで再婚したのかお伝えします。

 

旦那との出会いは、松竹新喜劇への勧誘を九重京子さんが受けたことで始まります。

 

引退後に松竹の創業者の白井松次郎から誘われて、舞台仕事を辞めてから1年後の1948年に入団します。
入団後は喜劇女優として活動しました^^

 

一方の、渋谷天外(2代目)は15歳年上ですでに団長として活躍していました。

結婚した奥さんもおり、同じ松竹新喜劇の看板娘ならぬ女優で九重京子さんとも家族ぐるみの付き合いがある浪花千栄子さんでした。

 

浪花千栄子さんは舞台も家庭も完璧で献身的と評判でした。

 

若い頃の天外さんは「ビジネスがしたい。本を執筆したい。家庭を持ちたい。」と話し、ついには「今の奥さんが重荷なんだ」と九重京子さんに話すようになります。

 

妻から逃げ出したいと不倫関係に誘ったのは渋谷天外(2代目)さんです。
二人の不倫は噂となり、世間を騒がせたこともあったと言われています。

 

家族で撮った顔画像(写真)がありますが、2人とも仲睦まじい夫婦のような印象を受けました^^

 

劇団での恩人でもある浪花千栄子さんのことを思うと、九重京子さんも悩んだのかもしれませんが、渋谷天外(2代目)に「私のために女優を辞めて欲しい」と言われた時には素直に応じたそうです。

 

恋愛感情は本物だったのですね(*^^*)

 

二人が結婚するきっかけとなったのが、九重京子さんに子供が出来たことでした。

 

渋谷天外(2代目)さんと千栄子夫婦には子供がおらず、天外さんは40歳を過ぎていましたが家庭を持ちたいという希望もあり、九重京子さんとの結婚を決めたと言われています。

 

新聞の談話で千栄子さんの離婚のことや、九重京子さんとのお子様について話していたそうで、奥さんの千栄子さんは新聞で夫の離婚の意思を知ったんだとか

 

脚本家として渋谷天外(2代目)の作る劇に妻と不倫相手が揃って登壇するというのはどんな気持ちになるのか分かりませんが、複雑だったでしょう><

 

千栄子さんと九重京子さんは、仕事を辞めるまで同じ舞台に立ち続けていますから、お互いにプライベートを仕事に持ち込ませなかったのでしょうね。

 

九重京子さんは、若い頃に子どもを授かったので子育てに専念するべく1950年に松竹新喜劇を引退しています。

その年の12月に長男を出産し、のちに次男も誕生します。

 

長男出産の際は、一緒になることを決めていながらも籍を入れられなかったと言われています。
その原因は、元妻との離婚調停が長引いたためでした。

 

現代だったらワイドショーがこぞって取りあげるようなネタですね。

 

渋谷天外(2代目)さんは、1951年には元嫁と離婚していたのですが、そこから姿を消した千栄子が籍を抜かなかったために九重京子は入籍できませんでした。

 

籍を入れたのは離婚が正式に成立した、1955年だったと言われており結婚した夫(旦那)の天外さんは50歳で九重京子さんは35歳でした。

 

その後、1957年に松竹新喜劇の10年記念公演の後に結婚式を挙げています。

九重京子は結婚した夫(旦那)の渋谷天外と夫婦生活は上手くいっていた?

九重京子さんは、結婚した夫(旦那)の渋谷天外(2代目)さんと夫婦生活は上手くいっていたのかご紹介します。

 

亭主は自伝の中で「44歳で初めて自分の子供をヒザの上にして、永年の糟糠の奥さんと言える千栄子さんには申し訳ないと思ったが、息子の父親になろうと決意した」と言われています。

 

糟糠の妻とは、貧しい時代から共に苦労を重ねてきた女房という意味で、まさに渋谷天外(2代目)さんを支え続けた元嫁のことです

 

ですが、初めに九重京子さんに家庭を持ちたいと愚痴った天外さんは、思いのほか子供を持つことに執着があったのでしょう。

 

今だったら子煩悩な育メンパパになっていたのではないでしょうか^^

 

そんなお子様を持つことへの思いから結婚が叶った二人ですが、天外は「君が本を執筆するんじゃない。本を書くのは僕なんや。」と話し職場は立ち入り禁止にしたんだとか。

 

一方で九重京子さんも「バクチと素人の異性には手を出したらイカン。マネーで解決できる女性だけ」という条件を出したと言われています。

 

自分が不倫の末の結婚だからか、不倫はダメとは言わないのがすごいですね。

 

もともと若い頃から女遊びが過ぎると言われていたそうですから、同じ劇団にいた京子さんも知っていたのでしょう。

 

浪花千栄子さんと九重京子さんが仕事を引退する時も、不倫の結果、世間から大人気女優を辞めさせたとバッシングが激しかったと言われています><

 

結婚後も夫(旦那)の渋谷天外(2代目)は仕事の多忙もあり、酒を浴びるように飲んで女遊びをする生活を続けますが、九重京子さんはそんな亭主を支え続けます。

 

食事もとらない日々が続き、ついに天外は公演中の舞台で倒れ、脳卒中と診断を受けます><

 

この脳卒中が原因で半身マヒとなり、俳優としての舞台復帰は絶望的と思われましたが、九重京子さんは復帰をサポートし続け、ついに夫の舞台復帰を実現します。

 

夫は倒れて入院中、九重京子さんのことを間違えて「浪花はん」と呼び間違えることがあったんだとか><

 

しかし、九重京子さんは怒るでも叱るでもなく、「私の名前をハッキリ喋れんと違いますか?私は喜久栄ですよ」と冷静に返したと言われています。

 

肝の据わったしっかりした女性になっていたのですね(*^^*)

 

晩年は後遺症を患った旦那を76歳で失うまで、一緒に添い遂げて献身的に支えたと言われていました。

 

九重京子さんは、94歳で大往生を迎えています。

九重京子は結婚した夫(旦那)の渋谷天外との家族に養子(養女)はいる?

九重京子さんは、結婚した夫(旦那)の渋谷天外(2代目)さんの、家族に養子(養女)はいるのかご紹介します。

 

二人の間には子供がおり、養子はいません。

 

次男が3代目渋谷天外を継いでいます。
3代目のお子様は女の子が二人でどちらも芸能の道には進みませんでした。

 

渋谷天外の名が途絶えることを心配した3代目に、松竹の若手だった胡蝶英治が申し出て、3代目渋谷天外が松竹入団時に名乗っていた渋谷天笑を襲名しています。

 

将来は、2代目渋谷天笑が4代目の渋谷天外を継ぐ可能性が高いでしょう^^

 

胡蝶英治に渋谷家との血縁関係にはありませんが、歴史的な芸名を後世に残す手伝いをしてくれる存在ですから、渋谷家にとっては家族でしょうね。

九重京子と結婚した夫(旦那)の渋谷天外との家族構成を紹介

九重京子さんと、結婚した夫(旦那)の渋谷天外(2代目)さんとの家族構成をご紹介します。

子供は男の子が二人います。

 

長男は成男といい、役者に向かないから本を書けと言った天外の言葉に反対しました
そして、楽屋への出入りを禁じられており、今は料理屋を営んでいると言われています。

 

あたれば儲かるけど、外れれば貧乏な仕事に就くのはいやだと言ったそうですから、若い頃からよく父親の背中を見ていた証拠ですね^^

 

次男は喜作といい、3歳で初舞台を踏むなど兄に代わって芸能の道を進みます。

 

大学在学中に父の影響で台本を書き始め、卒業後に松竹新喜劇に入団、のちに3代目渋谷天外を襲名します。
そして現在おちょやんに出演しています^^

 

【九重京子の関連記事】

九重京子の経歴!死因が凄い?若い頃の松竹時代の顔画像(写真)は?

九重京子の宝塚時代の顔画像(写真)!生い立ち~人生!おちょやんとの違いは?

九重京子の松竹時代の顔画像(写真)!結婚した夫(旦那)は渋谷天外で略奪愛?

 

九重京子のまとめ

九重京子さんの結婚した夫(旦那)は、2代目渋谷天外さんです。

若い頃の顔画像(写真)は、キリッとした眉毛が印象で可愛いというより美人で、化粧映えするので宝塚歌劇団の男役や舞台での男装姿が似合っているという印象でした。

 

これだけ見るとかなりの悪女ですが、実はだらしない夫・渋谷天外を生涯にわたって家庭で支え続け、元女優としても夫の役者の道をサポートし続けた、とてもタフな女性でした。

 

美人で芸がうまくトップスターだった一方で、好きな人のためにその道をスッパリ諦めたり、女癖の悪い旦那を辛抱強く支え続けました。

 

障害のある体を献身的にサポートし続けられた背景には、亭主への本物の愛情があったんだなと実感しました(*^^*)

不倫や年の差婚、できちゃった婚など、昭和の時代は今よりもっと風当たりもきつく、つらいこともあったかと思います。

 

風評に負けず、世間の目に負けずに生涯を全うしたその人生は、今の時代から見るととても潔くて輝いています。

 

32年間独り身で貫いた九重京子さんは、老衰で天国に旅立つまで大きな病気もなかったと言われています。
旦那を失った後も奥さんは生き生きとして長生きすると言われますが、そうだったんでしょうね。

 

九重京子の若い頃の顔画像(写真)!結婚した夫(旦那)の渋谷天外との家族構成を紹介 

についてまとめてみました。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。


スポンサーリンク


コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です